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florentine(磯崎愛)のことを語る

勝手に引用

どんな時代にも、自分が属する家族や氏族と縁を切った個人はいた。動物集団のなかに最初の世帯が生まれるやいなや、群れから離れる決心、周辺に生きる選択は忽然と現れる

この地上のあらゆる神話は宣言する。氏族間の交換と血縁の結びつきを守るためには幸福な恋愛などあってはならぬ。だが、これは誤りだ。幸福を味わった禁断の恋はあったからだ。誰よりも幸福だった孤独な人、隠者、放浪者、周辺人、シャーマン、分離派、隠士はいたからだ。

口承の文学では、つねに語り手は社会だ。

聖書は言う。孤独な人間に災いあれ!孤独な人間は死んだ人間だ。だが、これは誤りだ。それはいつも社会が言う言葉だ。

社会的帰属の拒否は、あらゆる人間の集団にとって罰せられるべきものと映った。この処罰がそれぞれの神話の基礎をなしている。恋愛がそうであるのは、繁殖を確保するために、集団成員間で規範化され、階級化された交換を破るからだ。

どんな共同体にしろ、外側の空間の彼方から、大気圏の彼方から、生誕の上流で放たれる徴としての社会的認知を求めている。つまり帰属の徴を求めているのだ。熊、雲雀、女、同性愛者、病人、乞食、放浪者、音楽家、画家、作家、聖人たちは、政治権力に通報したりしない。

自分が働く集団と連帯している個人が求めているのは、より大きな肉体のなかに融合することだ。入れ物に身を任していた昔の喜びを取り戻すのだ。

スピノザは群衆、ヴルグスと、友、カルスを、相容れない両極として対立させていた。彼は言う、われわれは、隷属は主たる取引となった人々に自由を期待しない。
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なんどでも、なんどでも、なんどでも掲げておく