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florentine(磯崎愛)のことを語る

スペースランナウェイ 復活のイデオン祭り楽しかった!!
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3807.html
以下引用
「実を言うとこの歳になるともうアニメ見られません。つまんないから。それから趣味じゃないから。趣味でない30何年前のアニメ見て、「え?このアニメっていったいなんなんだろう」って見ちゃって、TVサイズのエンディングでもへ~っと思って改めて、発動篇で自分がまとめきったと思っていたものの、間違いだったかもしれないとか、あの映画サイズの発動篇を作ったことで自分は納得していたのがまさに思い込みで納得していただけであって、作品っていうのは怖いなって思ったのはこういうことです。作品として上手にパッケージした時に起こる問題っていうのを今回初めて学習させて頂きました。で、TVサイズのああいう作り方をして、ああいう語り口でやっていたのはどういうことかというと、ああやっぱり、いろんなメッセージというものが具体的にあって、イデオンという物語は個々のキャラクターの生き死にの問題だけでなくって、敵味方のやりとりみたいなことが、映画版的にキュッとまとまって行っちゃうとむしろ世界観みたいなものが狭くなってしまう。そういう意味では改めてTVサイズの持っているメッセージの伝え方ってこういうこともできるんだっていうのを改めて教えられた。本当にこれ、30何年ぶりに教えられました。僕にしてみれば∀以後の仕事ってロクな仕事をやってないわけです。ターンエーだってかなりやばい仕事だった。あんなものしか作れなかった自分ってなんなんだろうと思っていた時に、30年以上前に富野ってのがああいう仕事をやっているのをみて、改めて大人が年をとって劣化していくという歴史を自分の中に見られて、30何年の間忘れていたものがこういう形であるんだったら、本当はこういうものをもっといい形で自分が新たに作っていかなきゃいけないんだけれど、それはやっぱりつくっていけないくらい「イデオン」っていう作品はスゴイんだなということがわかった。」
「だからもうTVサイズについての各論っていうのを基本的に言う気はないし、印象として嫌いだっていうのは間違いないのは、今言ったとおり上手に作れてなかったから嫌いだってだけのことです。むしろ今言った一番大事なことで、皆さんがたはもう若いアニメファンじゃないんだからこういう話はわかっていただきたいんだけど、むしろ作品としてきちんと作られてしまった時には見終わった時に自己充足してしまうために、あまり外部に向かって「この作品はすごいよ」みたいなことを言うのを忘れて自己完結しちゃう。むしろTVサイズみたいにどこかぐしゃぐしゃしているものがあって、だけどメッセージ性だけがはっきりあるもののほうが、結局アレは一体なんだったんだろうねって話をせざるをえない。そういう部分がむしろ記憶として未だに残っていて、こういうふうなときに、じゃあこういうとことでみたらどういうふうに見られるんだろうかって自分自身が見にきたくなる。つまり不完全ゆえに持っている力みたいなものを改めて感じる部分があるんで、この違いというのは皆さん方理解していただきたいし、皆さん方がお仕事をする上でもなんらかの参考にしていただきたいなって思います。」
「……あ、ということでようやく最近のアニメがつまんない理由がわかった。

氷川 え?なんですか?

富野 みんな本気になってないんだよね。つまりこういうことです。アニメの絵面に慣れちゃって、アニメ的なものを見るのに慣れている世代でアニメが不思議だなんて思っている世代は居ないわけです。そういう人たちが「俺の作りたいもの」「俺の好きなもの」「私の好きなもの」作ると、要するに命懸けるところまでいかない。そういうことです。だけど実を言うと2クールくらいの物量のシリーズ、それから映画1本っていう物量ってのはやはり2~3人の生贄が必要なくらい、表現をするってのはハードなことだと思います。」
「実を言うと今日もある監督とこの話をしまして、「あ、物語をつくるっていうのはそういうふうに凄いところがある。」つまりどういうことかというと、いい作品に作りすぎた時に、むしろ作品しか残らなくて、メッセージが社会に拡大しないかもしれない。といった問題を考えた時に、どういうレベルで作るのかってそれは難しいけど、作り手としてはやっぱりそういうものもあるから気をつけてつくろうぜ。だから、良い物を作るというとこだけに行ってもいけない。そういういみでは全身全霊をかけてつくるんだけど、命をかけちゃいけないんです。だけど命をかける「くらい」にしなければいけない。というところがわかって、なおかつ完成形にしなくてちょっとぐずぐずで「まぁこんなものかな」っていうキワを見つけなくちゃいけない。で、この話をした監督というのは、最近それに匹敵するような作品をつくった方だったんで、こういう話をしました。そういう方が次の時代を担ってくれるともうからこそです。」
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あー、これ、言ってることはよくワカル、なあああ
(出来れば「最高!」なんだけど、うん ていうか、こういうのは図らずも、期せずして、みたいな心持ち、なんだろうなあ、計算じゃなくて 最後の一手は神のモノというか、だから全身全霊で命はかける(くらいだ)けど死んじゃ駄目、なんだろうなあ、きっと)
文学でも絵画でも、「傑作」「名作」の条件みたいなものってこんな感じだよね?
綺麗に作りすぎるとノコラナイ、完成度や技術は高いのにどこかで大きく失敗してるとか、アンバランスさって実は大事、ていう
サンドロの春の女神がまっすぐ立ってたら、あれ、人類史に残る名画にはならないもの