ハイク的におはようございます
わたしにハイクがあって幸せです、てしみじみ思う朝です
今までのやり方と変えて、見えなくても書く、という、パッチワーク的手法をとっている
はなしの主題やら語り自体は、だから変えられない(既視感があるものしか仕上げられない)
ぜんぶ一気に変更できるほど能力無い
でもしょうがない><
切り張り風というのは文学的でない、非常に素朴で粗雑なやり方と思われるけど、いっぽうでこのほうが「とっつきのよさ」というのはあるはずで、一文字一単語おかしくなったら作品全部崩れるっていう自分の強迫観念を意識的に緩和したい(別の言葉でいうと、よむひとに緊張感を強いない作品を書きたい)
とはいえ、そういう方法なので文章が定まらず直しが多くて無茶苦茶イライラする(エーコ先生のいうところのニス塗りじゃないのだ、これは)
作中の(語りの)時間をとめてしまうような拙い文章さらすなら書くのなんてやめちまえ!的な気持ちがいつもあるのだけど(ほんとわたしプライド高いw)、芥川だってそういう文章かきまくってるからな(芥川の場合は技巧の問題というより精神的苦悩とでもいうようなものだっただろうから意味合いはちがうんだろうけど、小説内の時間とずれる、ここで考えたでしょって指差せるような文章キライなの! けど、世の中の小説家が全員、こういうことを考えてかいてるわけではないし、べつにそれができなくても面白い、または他の部分で非常に巧い小説家はいるので、これはわたしの純然たる好みのはなしではあるのだけど、まあ、意識の流れ系作家はこのへん理解して我が物にできてないと当然のこと、書けない でも、べつに、作家はじぶんの書きたいこと書けるだけの能力があれば、べつにいらないんだよな、とはおもうのよね ミケ様がてぃっつあんにデッサンもっと練習したらいいのに的な文句いったとして、でもそれ、てぃっつあんには「それ以上は」いらないものだってことなのでなあw ある程度のレベルでできていれば、またはその不足を補えるほどの何かがあれば、なにもかも出来る必要もナイのだ)
そんなわけで、
わたしの場合、このやり方もできないと今後つづけられなくなる、ておもって挑戦してる
(三島がやっぱり、見えるものしか書かない作家だった あのひと一発書き屋さんだから、けど、たぶん、それだけだとどこかで死にたくなるというか死ぬしかないって思い詰めるんだと思うのよ、だって書けなくなるから)
それを自分のものにしてやっていくっていうはなしじゃないんだけど(絶対にそうはならない、性格的にw 技巧的にじゃなくて、わたしいわゆる正統派すきーだからw)、
逆をすることで自分がなにをしてるのか、してきたのか、ていうのが見えてくるはずで(断章形式の本当の底力、その威力との差異とか、もっと明確にできるっていう予感があるの)、
けど、ツライっすw
で、
こういうことを言わずとも、ハイカーさんにはわたしがなにを考えてどうしてるのかってことをわかってくださるかたはいらっしゃって、そのいっぽう、まるでわたしを知らないひとに向けて、というのではないけれど、こうして日記がわりに書くことで記録することの意味やちから、というのは自分にたちかえってくるので、やはしハイクありがとう、なのであったまる
おし、愚痴ったからもうちょっと働きに行くまでガンバルゾ!
みなさん、ごきげんよう☆
