キニャール @PQuignard_Bot
物語、旋律。それはこの世界にヒトの時間を差し出す力だ。歴史、物理学、政治、神々、――人間が創造したこれ見よがしのものはすべて、朗唱の最小値、捕食行為の最小値だ。
物語の発明。ヒトの時間は物語の発明に要約される。旋律の発明はヒトによるのではない。それはヒトの時間よりも先にある。
アウグスティヌスは言っている、「神は時間の中で響く声では語らない」と。
「私ハ自分ガソノ配列ヲ知ラナイ時間ノ中ニ分散サレタ」。
声はおのれの亡霊と戯れる。あるいはおのれの似姿と。あるいはおのれの記憶と。これらすべての可能性に、ごく最近「文学」という名前が与えられた。
声は時間の中で響く。そして現実において声が発せられた条件、会話あるいは歌という条件、人間の言葉の社会的な条件から身を振りほどく。
ヴイオールを演奏するとは、最も古い共鳴器を抱きしめること。大きな腹から音を引き出すこと。木の箱と化した大きな革袋。
子供――言葉に諦念に喪失に憂鬱にとらわれていないその分、真実を知っている――は、遅延に耐えることを知らない。
待つこと、それが、時間が時間について私たちに与えてくれる唯一の経験だ。持続は抵抗だ。時間とは持続するもの、耐え忍ばれるもの、獲物と顎との隔たり、待ち伏せと捕食、欲求と享受の間の隔たりだ。
どんな楽器も綻びを繕いはしない。失われたものを償いはしない。楽器は呼ぶ。音楽家とは、「呼ぶ」という動詞の専門家となった人間だ。
私たちを音楽へと導くこの動きは、溶けあおう、溶けあわせようとする動きだ。求められているもの、それはいかなる記憶も超えた音の安定、おのれの奥底、おのれの根源における音の安定だ。
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ほとんどキニャールぼっとさんに伴走してもらいながら、て感じだなあ
