何報
書いておく
ここで、この場所で、書いておく
2007年3月から長編らしい長編は終わらせてなくて
その前はあるのですけどね、別の言葉でいうと、わたしはこのあと投稿していない
生まれてはじめて送った掌編がプロに講評もらう(2005年)、つづいて送った少女小説(共作)が最終選考いく(2005年に送って2006年結果だっただろうか)、
ていうのを体験してしまったわたしは超絶勘違いしたのだ、チョロイじゃん、てw
いや、ちっともちょろくなかったです、ええ
その後おくったものは、最終選考までいったものの書きなおしとかいういちばんやっちゃいけないことで、
でもあるときはたと気がついたのだ、こんなことしてちゃ駄目だって(これは、じぶんでもワカッタのだ)
この間に大塚先生の講義きいたりして(これが2006年だっただろうか?)、
それで2007年に約3か月かけて350枚くらいの長編『夢詩壷』を書いて送って、これで駄目ならまだまだだっておもって、そのとおり今よむと死にそうに下手くそで、あなたね、あんな超絶だめだめな小説よくおくったよね、て小一時間説教してその蛮勇を褒めてやる勢いなんだけどw
それでも、
わたし間違って、あの当時の力量で受かったりしなくて本当によかった、逆に運が強いとおもってる
それから勘違いしまくったじぶんの能天気さというか(世の中の、賢明なひとはそんなもの勘違いしないw)、
縋るものが他になにもなかったじぶんの「貧しさ(お金がない、という今もって続いている状況だけでなく)」も寿いでヤリタイw
まあ、そういう自分語りはいったんおいて
こんかい書きあげて次の日におもったことのひとつが
45歳の三島は『豊饒の海』を書き終えて、どういう「状態」だったのだろうということだった
ちなみにラファティのデビューは45歳
ジーン・ウルフは幾つだっただろう?
ただしウルフは兼業で、だからしょっぱなからあんなカッチョエエ作品を書きまくれたのだともおもう
少なくとも14歳から小説をかいている
そのころにはいちおう、それらしいものをかいていた
それ以来、「書く」ことだけはやめてない
いろんなものをやめて、続けられなくて、ひととの関係も仕事も、趣味でさえ、なにもかも
でも、小説を「書く」ことだけはやめてない
これしかできることがない、ほんとうに
さっきの本でいわれてるように「才能」がないとなれない、ていうのはわかる
容赦ないけど、そういうものだともおもう
ただし、「才能」があっても情熱がなければ続けて書けない
学校その他でわたしよりうまいひとはたくさんみてきた
でも、つづけているひとは少ない
「続けられる」ことが才能のひとつにカウントされるなら
わたしには、それがある
それしかない、かも、だが
まあ、
アルものがあってよかったとはおもう
そのていどのことだけど
そのていどのことでも、支えにはなるのだ、十分に
