それから、
「解釈」ということに関していちおうそれらしいことをくりかえしますと、
いま現在、ある作品に関してある一定の解釈が出揃っていてそれが「主流」、つまりいまのところ一見「正しい」と思われていたとしても、それは「歴史」という篩にかけられていくと逆転することは往々にしてあることです。
誰かがこれはAだと言って、それが声の大きいひとのいうことで広まっていっけん「正しい」と思われることがあったとしても、小さな声の誰かのBが、長い時間をかけた歴史というものの評価でみてみるとどうもそのほうが妥当である、ということも大いにありえるのです。
藝術なんてものは特にそういうことがくりかえされていて、わたしが少しはまっとうなことを述べられるのは西欧美術史とくにルネサンス期の美術についてですが、あの当時、とても売れっ子で評価も高く値段も高く、といった画家の作品が必ずしもその後何百年の時を経て評価がそのままであったわけではありません。また「再発見」というのもあります。忘れられていて、復活する、というものもあります。
だから、「大勢の解釈」に必ずしものっかることはないと思います。それを正しいと鵜呑みにするのは、わたしにはどうしても解せないことなのです。
特にその、文学とか芸術とかその手のことは、ご自身の感性とか感覚とか経験とか好みとか、いろんな物差しがあるはずで、それを素直に信じることで本当に「作品」と深くまっすぐに(ななめでもかまわないんですけどね)向かい合えるのではないかと思います。
藝術とは、あくまでじぶんと作品と、一対一の関係でしかありません。そう言い切っていいものと思います。両者のうち片方が欠ければ、それは無いものなのです。そのくらい切羽詰っているというか、ギリギリのところのものだし、少なくともそういうふうに作られてきているものが時を経て残るものかと思うので、他者の視線や評価というのはこのさいおいて、何も頼りにするものがないというくらいの心持ちで向き合ってはじめて、ほんとうに「解釈」というのが出来るのではないかなあ、というふうに思いながらわたしは作品を書いてますし、読むときもそのくらいの覚悟でいつもいます。
むろん、これこそがわたしの「態度」で、ほかの誰かの「態度」ではないわけですけれど。
と、
いきなし熱血でごめんなさいです。わたしもなにか、ストレスふるふるらしいですねええ、えへへv
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