どうもありがとうございます!!
なるほど~。>調書
なんか、小説の「ナラティブ(語り)」の説明としかわたしには思えないくらいです(笑)。
ぶれのなさ、突き進むは、そうですねー、うんと、世の中にはいろんな小説論があるとは思いますが、じつをいうと、エンタメ小説とわたしが呼ぶものほど「余分、余計なもの」が多いです。そこで息を抜かせる。そのことで癒しなり、遊びなり、はたまたノイズなりの飾りができる。たとえていえば、キャラクター小説などは、たんにキャラが出てしゃべってるだけでファンには楽しみになる。筋に関係ないほど、じぶんのほうを向いてくれているという気持ちになったりもします。そのなかに嵌まり込むこんだりいつまでもとどまっていたりすることが楽しいといった感じでしょうか。
そのいっぽう三島の小説は、その構造、単語ひとつひとつ、エピソード(この場合は「事件」でしょうかね)、小道具までが緊密に結びついていて、読者に「集中」を要求するわけです。不必要なものがないものほど、文学度が高い、とわたしは考えます。そしてまた、そういう作法は「虚構・つくりごと」感も濃くなり、けれどきちんと作りこまれていればいるほどありていにいって「現実味」もまします。がゆえに、「からめとられる」につながるのだと思います(というか、そう書くのが小説家ですね、おっしゃるとおりに)。
とっつきにくさにつながるのも、そうした三島の「この小説をよく読め」という欲求、要求に違いなく(じっさいそういうことを書いてもいます)、じっさい、そこがまた「技量・技巧」でもあるわけで、まあ、よくもわるくもひとを疲弊はさせるよな、と。
ああ、そうだ! もうひとつ。
ある「結末」が、いつもいつも三島のなかにあったかというと、それは、違うと思います(ただ、たいていは、あったとは思います。わりとカタチに拘るひとなので)。これは三島自身も書いていることで(それを素直に信じて鵜呑みにしているのではなく)、やはりそれなりに小説の運動、というものを感じながら書いていたようにわたしは想像しています。このへんの綱引きがまた、小説の醍醐味であって、たぶん、本人が飽きていたもの(つまり結末がわかりすぎてヤだったもの)というのもあったように思うのです。
と、わたし、いつまで語る気かしらららら。
三島はまいあすとろついん認定なので(をいっ!)、とまりませんです~~~><
id:gustav5のことを語る
