id:florentine は
id:gustav5のことを語る

んーと、そうですね、
gustav5さんの考える「良い読者」像は、わかりました。
ただ、それはわたしが考えるに、三島というひとにとって「良い読者」かどうかはかなりのところ謎です。一般的に、文学批評や研究といった立場のひとは、そういうことを作品理解のひとつの方法論として探求するものかとは思いますが。
三島はご承知のとおり当時の狭苦しい文壇やいい加減な批評家といったものにそうとうな嫌悪感を抱いていました。これは書簡等にはっきりとあらわれています。
わたしが思うに、作家というのはたいそう卑しい存在です。しかも、「ゲスな勘繰り」なくしては成り立たないのが「小説」というものです。こころの襞ヒダなんてものをよりわけてかきわけてびにいりさいにうがちなんて、やらしいことをする職業なのですから(とくに三島はこういうことが得意だし好きだったと思います!)。
つまり、わたしが言いたいのはgustavさんのいう「些末なこと」はちっとも「些末」ではないと書き手側は思うということです。まして、おっしゃるように「抱えてるもの」があるから吐き出す(創作する)わけです。抱えているもの、ひっかかっているもの、わすれがたいもの、苦しみの根源、どうしようもないもの、そうしたものを「読者」が見つけてくれたり、それをこうして分け合ってくれたりすることを何よりも望んでいるのは実は作家自身ではないかと思うのです。