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florentine(磯崎愛)のことを語る

~作家のセクシュアリティ~
 
本人も、ワカンナイってのがいちばん厄介だったりしますが(笑 ホラ、小説家はバカでもなれるから。ええ、そんなもんです)、でも、まあ、大事、ですよね。これ以上なく。
 
文学というのは畢竟「恋愛文学」なわけで。
そこんところが掴めないと、たぶん、いろいろ読めない。かけない。
作家側はべつにわかってなくともいいし、そこはそれ(笑)、秘密にするなり曝け出すなり色々やりようはありますが。
ある作家を理解しようと思ったり、その作品を深く読み込もうとすれば、当然、そこは必要になります。
 
さて。
小説家の場合、わりあい手がかりというものは得られます。なにせ、書いたものがある(笑)。かずかずの韜晦やさまざまな詐術をかいくぐり、「真実」などと呼ばれるものに近づくことも可能でしょう。
しかし、画家は?
なにも、書き残さなかった画家は、どうしたら、いいの?
(レオ様のようなひとはいい。あんなに色々書いて、それについてだけは書かないなんてことをしでかすワカリヤスイ捻くれものだから。または、詩人ミケ様も、それはそれでいい。ネオ・プラトニストだってことがわかるから。しかしながら、わたしの愛するサンドロは、なにも、ほんとうに何も、絵のなかにいくつか記した言葉以外、なにも残さなかった) 
かわりに、絵が、あるけどね(笑)。
 
辻邦生『春の戴冠』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103142170
サンドロ・ボッティチェリの親友が書いた自伝。西洋社会において至極伝統的な、「覚書」の体裁をとった「小説」です。
とりもなおさず、この本の装丁(つくり)の美しいこと!
凝りに凝ってるので、サンドロの絵をなによりも愛するわたしには涙もの。
(文庫もでてるです、でも、中公のあの表紙はなんだかなあ、なの)
 
そして。
ある人物を描くときに、その小説家自身のセクシュアリティというものもそこに反映されると思う。あたりまえのことばかり言ってるようですが、でも、書くひとにとっては、けっこうキツイ事実なのですよ(笑)。
 
この小説におけるサンドロのセクシュアリティは、「摩寿意説」に拠っている。それは辻さんも書いておいでなので間違いない。女性とたくさんお付き合いしたひと説ですね。知りすぎたゆえの憂鬱。
いっぽう、わたしが支持したいのは「矢代説」。女性崇拝と恐怖に支配された無垢なひと説。こっちのほうが、わたしは納得。
辻邦生さんは、「矢代説」をとって描きづらかったのだろうと、そう、思うのです。資料の関係などもあったかもしれませんが(ここらへんは歴史もの書くときはイロイロあるので、その苦心苦悩も理解できなくはないのですけど)、心情的に、たぶん、のみこみづらかったのではないかなと。
 
それで、ですね。
こっからが、本題なんですが(前書ながいよね、すみません)、
とりあえず、おっきなこえで叫びたいんですけど、
 
「小説の主人公は恋愛しないとダメだよ~~~~っ!!!」
 
ってことでして、
えっと、
その、
たんに、そんだけなんですよ。ええ。
 
そんじゃっ!!
(わが身をかえりみにいくである~、うきゅう)