すべて記録できるとそれはそれでおもしろいだろうが、すべての範囲がよくわからんし、記録されないほうが都合のよいこともたくさんあるし、ぜんぶ見せられてもよくわからんし、足りない中でいかに伝えるか隠すかという勝負はいつまでも続いてほしいものだがわたくしは何かを話すとき、できるだけ全てを伝えようとするのを止める気はない。
記録と再現がどうにかなったら[想像で語る]というのが死語になることがあるのだろうかた想像する。
あまり関係ないが、さいきんTVプログラムを受動視聴して思うのは、俺様は中学生の妄想よりは小学生の空想のほうが受容しやすいということです。
ずぼんぼ@豆腐の角のことを語る
