id:zushonos は
ずぼんぼ@豆腐の角のことを語る

[こんな人たちに囲まれてきた]
高校は故郷の最寄りの学校に通った。男女共学ではあったが、1,2年は男女別のクラスだったので、1年生のときに、学年の野郎どもの1/4と同じクラスだったことになる。
一年経つと、別のクラスの野郎どもの顔もだいたい認識はできていて、2年になってクラスが変わっても、周りの顔ぶれは変わり映えのしないものだった。本稿とは直接関係ないが、その前から面識があり、今では四半世紀ほどの付き合いとなってしまったもりーさんと同じクラスになったのは、高校2年のときだけだ。

ところが、である。最初に名前の五十音順に割り振られた席で、私の近くに座った連中の中に、見かけない顔があった。その時は知る由もなかったが、後に電車さんと呼ばれるようになるその人であった。
電車さんの外見といえば、中肉中背で、体格的な特徴はない。制服は学ランで、これまた特徴が出にくい。だが、一点、外見で、ほかの連中と異なる様子が、足元に見てとれた。
この学校では、生徒の上履きは、BS(いわゆる便所サンダル)風のものと定められており、そのサンダルの色が学年によって異なっていた。よって、同じクラスの連中が履いているBSはみな同じ色ということになる。電車さんのそれは、やはり、同じ色だった。しかし、他の連中のBSは、一年を経て、薄汚れている中、電車さんのそれは、まだ新しく輝きを放っていたのだ。
ただ汚れていないだけなら、大切に使った結果かもしれない。しかし、BSは樹脂製で、傷ひとつない新品時はそれこそ光沢を放つほどだが、実用していれば、すぐに細かい傷がつき、輝きはくすんでしまう。つまり、電車さんのBSは、新品であった。
顔見知り世界大会での上位入賞が狙える俺様であるから、1年の間で認識できなかった野郎がいても不思議はない。だが、電車さん以外の連中はみな見覚えがある。それに、もりーさんほか、それまでに交流があった連中に「あいつを知っているか」と探りを入れても、誰も電車さんを知らないのだ。といって、転校生がいるというような紹介もない。何らかの理由で、私ほかの認識をまぬがれ、かつ、BSを新調した男。それが、電車さんであった。
教室の中では何も解決しなかったが、教室を出たところに手がかりはあった。同級生が手を出せない電車さんに対して、廊下ですれ違う教師が、馴れ馴れしく話しかけるのだ。さらには、3年生も。なるほど、あれか。
後に、たしか窓の外を飛ぶ飛行機だか飛行船だかが会話のきっかけになって話をするようになった電車さんは、ほどなく、「東京コーヒーが原因で」1年間学校を休んでいたことを教えてくれた。ついでに、東京コーヒーの間は、ときどき宇部線の写真を撮りに行っていたことも教えてくれた。そうやって、電車好きであることを少しずつ主張してきたのである。後に、車両の略号というのか、キハとかなんとかのあれを、絵入りで図示した手描きの紙を頂戴するに至ったのはまた別の話。
2,3週経過して、比較的親しく話をするようになると、BS以外にも、電車さんの外見的特徴がわかってきた。
まずは、タオルを常用している。本人いわく「汗かき」だそうで、ハンカチなどでは追いつかないそうだ。つぎに、汗かきと相反するようにも思えるのだが、本人いわく「色白というよりも青黄色」で、顔色が悪い。色の白さなら、クラスメイツのヤーマダくんの方が上回っていたので、最初は気づかなかったのだ。
そして、この青黄色さが、少しあとで事件を引き起こす。

その前に、本稿のもうひとりの主人公、アキオについて書いておこう。アキオは世界史の教師だ。当時、50がらみだっただろうか。中肉中背。やや猫背気味だったか。頭髪は豊かとはいえない。くたびれきってはいないが、くたびれ始めてはいた。
いまとなっては珍しいとも思わないが、当時はなぜかセンセイショナルに思えた噂(噂を裏付けるとされる怪情報も飛び交った)では婿養子。
本人は語らなかったが、複数の同僚の教師が明かした「著名な大学を卒業した」という事実が、頭でっかちなハイスクールスチューデンツがアキオに向ける視線のバランスをどうにか保っていた。
2年と3年のとき、私はアキオの授業を受けた。
アキオは、授業中、いちど出てきた人名をその後繰り返すことは原則せず、代わりに「彼」「彼女」でその人物を指し示した。だが、故意か否か、アキオは、その人物の性別にかかわらず、どうしても最初に「彼」と言ってしまうのだ。結果、「マリア・テレジア。彼、もとい彼女は、」となる。もどかしい。
それから、多くの人が「マグネット」というあれを、必ず「マジック」と言ってしまう。授業中、黒板に資料を掲示しようとして磁石が足りずに探すときは、「おう、マジックはどこにあったかいのう」ってなもんである。もどかしい。
3年のとき、アキオは私のクラスの担任でもあった。日直が書くという決まりになっている日誌には、出欠や連絡事項のほか、なんでもいいから書く欄があった。これに対し、担任が返事を書くならわしである。ある日の日直がこう書いた。「サトウくんのお父さんの名前はトシオ。つまり、砂糖と塩」。ああ、高校生。これに対し、アキオが書いた返事はこうだ。「他人が嫌がることを書くのはやめよう」。ああ、もどかしい。

時間を高校2年の春に戻そう。新学年が始まって1ヶ月ほど経ったとき、体育館で学年集会が催された。私と電車さんは、体育館の後ろのほうにいた。集会が終わり、退出が始まったが、混雑に突入するのを避けて、薄暗い体育館にしばらく留まってしゃべっていた。電車さんはこの場所へもタオルを持参していて、ときどき取り出して額の汗を拭っていたが、いたって健康であった。
そこへ、アキオがやってきた。電車さんの様子を見たアキオは、開口一番「おい、顔色悪いけど大丈夫か」と言った。私は堪えられず、大笑した。アキオは「お前、人が心配しよるのになんで笑うんか」と言った。電車さんは「いつもこういう顔色なんです」と弁明した。

それまで、苗字で呼ばれていた電車さんは、このあと、「pale(青白い)」と呼ばれるようになった。