息子が5年生になったときだったかな。新しいクラスに特殊学級で過ごす子がいる、その子はあのときタンスの下敷きになったのだと話した。単純な同情心とそれがわが子でなかったことを喜んでしまうなさけなさとが交錯して泣いた。
何年たってもエゴイスティックで無力な自分にせめて自覚的であろうと思う。

息子が5年生になったときだったかな。新しいクラスに特殊学級で過ごす子がいる、その子はあのときタンスの下敷きになったのだと話した。単純な同情心とそれがわが子でなかったことを喜んでしまうなさけなさとが交錯して泣いた。
何年たってもエゴイスティックで無力な自分にせめて自覚的であろうと思う。