[風立ちぬ]
をみにいこうかと娘を誘ったら案の定気乗りしない顔されました。(レイトでそのうち)
こうして観てもいないうちにどんどん批評が入ってきて、きっと実際に観にいくころには膨大なチェックリストが出来上がってしまい
ふつーのひとがただぼんやりと観るのとはかけ離れた感想をまた抱いてしまうのだろうと思う。
ある批評を読んでいて思ったんだけど
Aについての美しさと醜さとが、Bについての美しさと醜さ、Cについての美しさと醜さなどとともにパラフレーズで描かれバランスがとれている
というような感想は、作者の作品群に接してきた蓄積があり、あらかじめそこに焦点があると批評的なまなざしを用意してこそ持てるのではないのかな・・・。
描く対象が大きなものになるほど、興行が大きく社会的責任が大きくなるほど、意図がどれだけのひとにきちんと伝わるかをきびしく自問してもらいたい。
「わかるひとがわかればいい」という姿勢が見て取れたらやっぱりまたわたしはうんざりしちゃうんじゃないだろうか。
そういやauでもらった風立ちぬ扇子は鞄が重くなるので結局役に立てていない。ちゃんと風は立つんだけど^^
宣伝に積極的に協力する気もなく加担するのはどうもヤだというややこしい性分のせいで実際の重さより重く感じてしまうからだ、というのが
鞄のファスナー開けるたびに意識されることがメンドクサくなったw
