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うさのことを語る

  • --------------- memo ---------------------(檀家制度)
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    前史 [編集]

    仏教が伝来した飛鳥時代において、仏教は有力者の信仰対象となった。この時代に建立された寺院は、
    もっぱら壇越となった有力氏族が建立したものであり、これを氏寺と呼ぶ。例として、蘇我氏の飛鳥寺、
    秦氏の広隆寺が挙げられる。氏寺は、当然のことながら自分たちを支援してくれる有力氏族のために
    葬祭供養を行った。この壇越が檀家の源流である。[要出典]

    やがて時代が下がると旧仏教勢力の寺院は所領を持つようになり、荘園領主的な側面を帯びるようになる。
    有力寺院の主要な収入源は、布施(檀那)から荘園収入に変わる。政治的な権力・権威を持つようにもなり、
    壇越に依存しない寺門経営が行われるようになる。しかし、それも応仁の乱以降、荘園制の崩壊によって
    失われていくこととなる。[要出典]

    それら旧仏教勢力に対し、新しく登場した宗派は一般民衆を対象とし、その勢力を広げる。その過程で、仏教
    は出家的なものから在家的なものへ移行していく。例えば臨済宗・曹洞宗の禅語録は15世紀以降、坐禅関係
    から葬祭関係へと比重が逆転していき、この頃から仏教が先祖崇拝や「家」と結びついていったと考えられる。
    「檀家」という言葉自体は鎌倉時代には存在していたが、仏教がより「家」という概念と結びついていったのは、
    やはり応仁の乱以降である。[要出典]

    つまり、檀家制度の下地は、応仁の乱以降から、江戸時代に寺請制度が施行される約200年間の、荘園制が
    崩壊して郷村が成立、また広範な「家」の概念が成立した時期にできたといえる。この間に寺院(檀那寺)は、
    社会的・経済的基盤を荘園や特定の壇越、あるいは外護者から、一般民衆へと移しかえた[3]。

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    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%AE%B6%E5%88%B6%E5%BA%A6