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自分(id:gustav5)のことを語る

村上さんの「多崎」について「仲間外れにされた経験ってのと、傷ついた気持ちは長く残る、それについて書きたかった」って述べてて、傷ついた気持ちってのを含め、生きていくうえでしんどいというか受け入れがたい現実をどうやって向き合うか、ってのは私は興味ある話なので腑に落ちてて、たとえそれがフィクションのせて語ることに意味があることと思えるです。それが文学かどうなのかは私は知りませんってそれはともかく、つまりけっこう本を読んでいて村上さんに時間をつかってしまっています。
ハイクっていろんな経験をさせてもらってて・いろんなものを読ませてもらってて、村上さんについて「格が」とかよくわからない部分でこき下ろしてるのを読んだことがあるんだけど、あんまり説得力があるようには思えなくて、ああいろんなひとがいるんだなあ、と処理してたんだけどもやもやは残った。そのもやもやはたぶん時間を消費したことに関して、あんたはもったいないことをしてる、って云われてるようなきがしたからなんだろうな、と。好きか嫌いかということに関していったん横に置いておくとして、ひとはそれで時間を消費しちまって、その時間を消費した対象に難癖付けられるとたぶん、穏やかではいられないんだろうな、と。
そのもやもやをどう処理したかといえば「好き」とか「嫌い」ということを含め実は言語化が大事なのではないかと考えてて、私は「多崎」を揺るがない程度におのれの中で言語化できたので、気にならなくなった。
もちろん巷に流れてるものに対して嫌ったっていいしそれを垂れ流したっていいのだけど、その中に身を置くうえで大事なのはもしかしたらおのれの中でちゃんと言語化することなのではないかと思っている。