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自分(id:gustav5)のことを語る

読書体験はその人の見方を変えたり問題意識をクローズアップすることがあるんだけど、ちょっと不健康というか病的なものと表裏一体でもありえるんじゃないかと。歯医者が患部を発見するときにみつけるような精密な鏡に近くて、描かれてる人間の弱さであるとかを通じて、ある程度の人が内なる患部をみつけてしまってもおかしくはない、はず。
「私を離さないで」に限らず小説を読んで引っかかりがあったとき、それはその人にとって個人的体験であってもとても貴重な体験なんだと思うのだけど、なんにもひっかかりがない、その「個人的体験」が無かったとしたら、それはそれで皮肉でもなんでもなく不健康でなく健康的なことなのだとは思う。ああよかったですねー、としかいうしかない。ハイクのノーベル文学賞のエントリを眺めててずっとそんなことをちらっちらっ考えていた。

辻井喬さんの現代詩に「おいしい生活」というのがあるのだけど
「いまでもあることだが僕は時々気が変になるのだ
たいていの人も同じなのかもしれないが
困るのは変になったときがまともなのか
まともな時が本当は変なのか自分ではわからない」

ってあって、本を読んであれこれ考えてしまうときが変なのかまともなのか、いまいちよくわからないのだけど、本についてあれこれ考えたうえで他人の本の否定的な批評のようなものを読んだときにおのれの中の読書体験を否定された気がして心をかきむしられるようになるということは、おのれの中ではとてもまともなつもりなのだけど、傍からみたらおそらく変になってるのだろうと思う。
しかし読書体験が変だとは思えないので、おのれが変なのかまともなのか、よくわからないでいる。