[リプライなんちゃら]
テレビで添削をなさってる先生が毎日新聞に以前出ていて、教員時代に宴会の席で絵を描いて、それに沿った俳句を置いておき、それをヒントに座る席をさがしてもらうというアイデアを実行していたというのを読んだことがあって、テレビに出ている先生は絵面重視なんだな、というのを知ったのですが、俳句って「眼」というのは概ね同意です。
概ね同意したいところなのですが、でも眼だけの話なのでしょうか。
例えばの話、「古池やカワズ飛び込む水の音」であるとか「静かさや岩にしみいる蝉の声」であるとか「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」っていうのがあったりするので、耳も重要なのかなあ、と思っていました。575ということもあって耳に心地よいのは不思議ではないのですが、その語句から音が聴こえればなお良いのではないかと思っていました。でもここらへんよく理解できていません。
感性という言葉もよく判っていないのでヘタなこと云えないのですが文中にでてくる感性というのが体感したことの言語化であるのなら、なんとなく判ります。「手袋の左ばかりになりにける」というのが子規にあるんすけど、万事に多情多恨であって、それを季語を入れて言語化できればそれはそれで俳句が成り立つのではないかなあ、という気が。
なんだかとっちらかってしまったのですが、観察眼・鑑別眼を含めて眼が大事というのであるのならなんだかよく判ると思いました。観察眼も鑑別眼も眼がほんとに良くないのでハイクはあんまり詠めないのですが。
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