[再リプライなんちゃら]
補足的なものとして、荒海や佐渡によこたう天の川ってあるじゃないっすか。あの句の凄みは佐渡にかかりし天の川でよさそうにもかかわらず「よこたう」という擬人化がなされてるところで、「眼」というのは重要だけど、575という文字列を俳句として成り立たせるのは実は「眼」だけではないのではないかという意識があります。それはなにかと云われると答えに詰まるのですが。
もうひとつ視覚優位か、と云われるとどうだろうというのが「手袋の左ばかりになりにける」というのを眺めると疑問として出てくるのです。「我に許せ元旦なれば朝寝坊」っていう漱石の句を眺めてるとなおさら。語りやすい・とっつきやすいのが視覚からくるものであって、俳句はほんとに視覚優位ではないんじゃないの、という疑義があります。ここらへん私は文学部卒じゃないのでてめえがまちがってる、といわれれば、間違っててごめんなさい、としか言えないのですが。
上の補足とはまったく関係ないけれど、「美」というのはそれに対比するものがないと「美」って存在しないのではないか。醜いものとは限らないけど対比してはじめて「美」は意識されるのではないかと。判りやすいのは美少年で、美少年じゃないのがいるから美少年っていうふうになるわけで。だからなにかしらをみて「美しい」と思えることがそれが能力か、といわれると能力じゃなくて経験とかその類だと思うのです。
なんだかさらにとっちらかってしまったのでここらへんで。
自分(id:gustav5)のことを語る
