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自分(id:gustav5)のことを語る

返答が遅くなってすいません。
まず一般論から申しあげますと、俳句にせよ短歌にせよ、拠って立つところは最後はそれを詠む人自身なのであって、誤解や誤読であるとかそこらへんを含めて個性が出てきておかしくないものですし(たとえばきれいなものしか注目がいかない人はきれいなことしか書けませんし)技術論を含めて基本的なことに関してはあんまり他人が容喙できる筋のものではないかなあ、という気がしています。
耳目をそば立てるっていうことばがあるじゃないっすか、耳と目でそばを味わうじゃねえ…目と耳でいろんなものを味わうことをかつての日本人はしていて(それが子規や漱石の時代にはあったのではないかという推測をしています)、でも俳句にせよ短歌にせよ視覚的な方向へ行ってるのではないかという意識が私はあって、その個人的な意識というか見解をもとにした差異や異論を昨日やおとといのように述べることはできても、それが妥当であるかとか正しいかなんてのは私にはわかりませんし、俳句や短歌を出してもご存知のように☆が沢山つくような万人受けするようなことを書けませんから私の拠って立つところは裏街道のようなもので、あんまり参考になるとは思えないのです。かてて加えて私は文学部卒ではないので短歌や俳句の基礎教養がごそっと抜けています。
おそらくハイクには文学部卒がけっこういらっしゃるはずです。そしてツイッタなどで短歌を詠んでいる方もいらっしゃるはずなので、(私も拝読させていただきますが)このidページではなくmodokiさんのidページなどで閲覧を促して意見を求めたほうが、とはおもうのですが、いかがでしょうか。