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自分(id:gustav5)のことを語る

誉め言葉というの厄介で「なにがどういいか」というのを言語化しないまま「いいね」というのは、実は怖いことなのではないかと思っている。言語を尽くさないまま「いいね」というのがあふれると、それは単なる内輪の同質性の証明にしかならないのではないか。言葉ぬきでそれを「良い」と思った人を「この指とまれ」とやってるにすぎないというか。それがどこがいけないのか、と云われるととっさに説明に困るのだけど、本来、人間が差異があるのなら、だれもが同じものを「いいね」なんてことはないはず。でも今の状況、「いいね」が大多数のときにそれに反する意思表示をすると、良いものがわからないバカ、ということになりかねない。寄らば大樹の影というか。
ハイクで○○の面白さがわからないのがわからない、という趣旨のエントリをみてからずっと考えてることなんだけど、人間同質性をどこかで要求し、「いいね!」のシステムはそれを助長してるような気が。それがどこがいけないのか、というと、これまた答えに詰まるのだけど。
ううううう、巧く書けない。