○江戸期の商業資本が世襲の家業としての事業(例・酒田本間家)であったり、経営者の才覚に依存することがおおい、のだけど、明治期になって渋沢がやろうとしたことは欧州の株式会社制度にならって、商売における出資と経営を別にして、零細の出資でも事業に参画できるようにし、また資金がそれほど無くても才覚がある人を任用して会社を経営させる、ということをしたことであるんだけど、わかりやすいのが銀行かなあ。秩禄公債を元手に銀行というのを作った、という説明がなされることが多いのだけど、江戸期の豪商の金貸し・金融決裁業務をそのまま豪商でない人間でもできることをやってみせた・出資者が複数いるひとつの組織をつくって新たなる信用を創造し経済を活性化した、というか。さらにその事業が役に立つ、ということを立証してみせたわけです。
○個人とか家業というものに依存していた経済活動を、個人とか家業から脱出させたというのが渋沢栄一という人の凄味なのです。江戸期にもヤマサの浜口家(銚子で醤油を醸造して江戸に売りその収益で紀州に利益を還元していた)とかあるのですが、商業教育他、社会還元などでも個人に依存しない団体を作ることに熱心で、わりと先鞭をつけたのが渋沢栄一だった気がする。
○いちばんでかいのは、渋沢栄一というような考えをする人・行動する人がそんなにいなかったことかなあ、と。渋沢栄一という人自体、会社の実権を握ることに特にこだわりのない人なので(おそらく資力もそれほどなかったはず)財閥も作らなかったし、富の蓄積にそれほど熱心でなく、農園くらいしか残さなかったのではないかなあ(青森に古牧温泉ってのがあってそこが唯一渋沢家の資産として残ってたはず)。
○めんどくさいことを書くと、会社というのは利益を追求して利潤を出せばいいか・投資家へ配当を出せばいいか、というと一面はそうなのだけど、それがすべてかというとそうではないのです。いちばんわかりやすいのは阪神電車を買った村上ファンドのやりかたで、俺に任せてくれればもうちょっと阪神の業績を上げられるよ、っていったんだけど、それは会社のあるべき姿とは違うのではないか、という論調が出て来ました。会社は誰のものか、ということにつながるんだけど、一面では投資家のものでもあるんだけど投資家だけのものではなく(会社の姿勢に異議があれば株式を広く公開している公開会社である場合社員脱退の自由というか株主は株をいつでも売却できる自由がある)、公益に利する存在であるべきというのが出てきてて(それを日経で読んでてこの国まだ捨てたもんじゃねーなと思ったんだけどそれはともかく)、渋沢さん自体はおそらくそこらへんの、会社は公益に資するもでなくてはならない、といういまにつながる、日本経済の良心みたいな根源をおそらく日本ではじめたひとではあるはず。
○責任という言葉の意味と、経営の神様って言葉自体が意味不明なんだけど、渋沢栄一という人を考えるとき、そういうことを思い浮かべるなあ。
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