id:gustav5 は
自分(id:gustav5)のことを語る

結果の平等というか機会の平等というか、なんていえばいいのかなあ、どっちを重視するかなんだけど、結果の平等というのをわりと重視する社会だと、「できない」というのはそれなりに「ああ事情があるんだな」ってなふうになるのです。できない人とできる人の格差があって、できない人とできる人に差異があることが認められるのです。
でも機会の平等を重視するような社会だと、できない人はまともに同じ土俵に上がれない・参加できないあわれな存在、みたいになっりまう。だから、機会の平等ってのが幅を利かすとできない人は負け組みたいなふうになる。それがいやだから普通は「できるけどしない」と装わざるを得ないんだけど、うんなにをいってるかわかんない意味不明な文章になっちまったかも。
「できるけどしない」「できない」に関してのややこしいことについて書いたつもりで、ぜんぜん違うこと書いてるかも