自己検閲をするなってのはそのとおりなんだろうけど、いきてく以上は自己検閲はやむを得ないのではないかなあ、と。異質なものを排除する、というのはひしひしと感じてるのだけど、どうやってそれを排除されないようにしていくか、というときに、すべては捨てないけど、一部は隠すからなあ。目立たないように、ひっそりと、でも生き残る方法、ってのがあれば一番いい。あれっす、どちらかに座らなければならない、でもある片方に座るようには言わないけど、もう片方に座ろうとすると【打倒!】といわれるのが判ってる場合どうやってその場を切り抜けるかっていう、開高さんのテーマにつながるんだけど。それは文学になり得ても、文学以外では悲劇でしかないのではないか。
よく個性的であれっていうひといるけれど、個性があるというのは、個性的でない、というのがあるからそれが成り立つわけで、異質であるということに近接するんだけど、異質なものに関して許容されにくい世の中では個性的であるということはけっこうむずかしい。自己検閲をせず、個性的であれというのは苦悩しろ、苦労しろ、って言ってるのと同じな気がするんだけども。
うん、どんどんネガティブなほうへ思考が転がってゆく。
自分(id:gustav5)のことを語る
