舌っ足らずで申し訳ないっす。
なんだろ、受験用の国語というか、そういったものだと「こうこたえておけばおk」みたいなものがあって、それに反発するところがないわけではないのですが、あー俺にはムリかもしれない、と思って私は別の学問へいっちまって、さらに社会に出たので、ですからもの知らないまま(私は他人を怒らせないような会話の共通基盤をもしかしたら教養と呼んでいいのかな、と思ってるのですが)ものを書いてる気がしてます。ものを知らないがゆえに、頭に血が上ったり、怒らせたり、突っ込みたくなる文章を書いてしまってて、ここらへん申し訳なく思います。
個人的な体験としてどこかに正解があるような「こうかいておけばおk」というありかたがあって、それに対してもう十数年なんとなくは反発はしてるので(勇気がないからあんまり表には出してませんが)、いまごろになって不信感のようなものがでてる状態です。
引用した開高さんの「玉、砕ける」は高校生の時に読んで、「生きにくさ」のなかで「どうやったらうまくいきのびられるか」というのが根底にあるような気がするのですが、なんとなく他人と違うときは否定されやすいということを皮膚でなんとなく察知していた私はこの文章にずっと引き寄せられてて、でも答えもみつかりませんし、たぶんこの先みつからないかもしれないです。
でもってこの文章を入口というか方位磁石を片手に小説を読んでて「しんどい時に人はどうやってやりすごすのか・その方法」とか「寂しさとか悲しいと居た問題をどうやって片すのか」とか「人は弱いところがあってそれを肯定してもいいのではないかという問いかけ」とか「不健康な・嘆きたくなるようなことを健康的な語りに載せる」とか作者によって違いますが、「ひとのありかたの模索」が文学なのかな、と勝手に思ってます。
とっかかりで諦めたり恨んだり、ってのがあるので、文学を愛す、ということがどういうことだかたぶんわかりませんし、たぶん同じ視点を持てるとは限らないのですが、なんとなくおっしゃってることの何割かは理解できてると思います。
電波を発して、ややこしいことにつきあわせてしまってすいません。
