けなす、ということは別のモデルがあってそれにあってないことをいうだけだから、誰でもできるんす。理想のモデルを語って、「そうじゃないじゃないか」っていうのが、たぶん「けなす」。でもって、実現不可能なことでも理想は語れるからおっかないんす。それは小姑的なものなんじゃないのかな、とおもう。
で、面白いってのも、そうなんすよ。誰かにとって脳内に違うモデルがあって、それとはちがうんだけど、でも存在を許す、っていう思考をしてるの。たぶん。で、私はこういう考え方をしなかったけど、なるほどそういう考え方で腑に落ちましたとか、面白くて腹かかえて笑ったよ、とか身体で納得したりとか、どう面白いか、ということを言葉にできる人はすごいけど、そうじゃなくて単に「おもしろい」「おもしろくない」ってのは、他人に自分の痒いところを探させて「ああそこじゃない」「ああそこそこ」って云ってるに過ぎないんじゃないか、と思ってたり。
なにが面白いかということをはっきり考えずに、「面白い・面白くない」というのは、おれが面白いと思うようにふるまいなさいよ、機嫌とれよ、っていう小姑的なものなんじゃないか、と思ってるんすけど、ただ小姑ってのをしらないので、なんとも言えないんだけど。
でもこういうのを小姑かなっていうような人って、会社とかガッコとかで、一人くらいいない?
