【あした役に立たない無駄知識】
稲荷社→どちらかというと農耕の神様で、豊穣を祈って勧請することが多いっす。で、農耕のほかに商業の神様で百貨店の上にあったりします(銀座三越とか)
氷川社→たぶん関東だけかもしれないんすが、氾濫を起こすような川のそばにわりと氷川社を勧請することがおおいっす。祭ってあるのはスサノオに関係してきます。荒川べり千住とか神田川べり中野とかです。スサノオ信仰とまざっててヤマタノオロチの話が洪水対策なんかなあ、と疑ってるんすけど、さだかではありません。
祇園社→疫病神をつかさどる牛頭天王なんすがスサノオとなんとなく境界があやふやでスサノオの化身というふうに理解されてます。でもって牛頭天王は疫病から逃れたいので、祀ったのです。牛頭天王を祭ってあるのがたいていは祇園社です。どっから説明していいのかわかんないんですけど、荒魂っていう発想があって、神様は荒ぶることをしてトラブルを起こしたり病気にさせたり、なんてことがあって、それを丁重に扱えば和魂になってめぐみを人へ施すというという考え方なんすけど、ともかく疫病の神をちゃんと扱えば疫病にはかからんだろう、という発想です。さらに非業の死を遂げたりとか恨みを持った御霊が悪さをするという発想があって、京都市内においてそれを慰撫するのが祇園祭の山鉾で、そのあと八坂の神様をおみこしで持ってくるわけっす。で、八坂さんは祗園信仰と関連してくるんすけど、廃仏毀釈の時になぜか牛頭天王がNGあつかいになって八坂さんから追い出されるかたちになって、祇園社を名乗らずにスサノオをまつる八坂神社となってます。
ほいで「蘇民将来之子孫也」というちまきを祇園さんのときに交付するんすけど、これはスサノオが一宿一飯(だったか)の御礼に子孫繁栄の御札を渡した故事に由来するんすけど、スサノオと祗園信仰というのもなんとなく切り離せないんす。
浅間社→火山関係です。富士浅間社とかに祀ってあるのはコノハナノサクヤ姫です。最近話題の貞観大地震の前後から祀られ始めるんすが、やはり崇め奉れば和魂となってめぐみを与えてくれるってかんがえたのかなあ、と。コノハナノサクヤ姫ってのは短気で、八ヶ岳の神様がきれいで背が高いというのを聞いて嫉妬して、ぼっこぼこにしたので八ヶ岳はいまの形になった、というのをきいた記憶があります。で、ブラタモリのなかでやってた富士塚は江戸期にはじまった富士講のもので、幕府から禁教扱いされるような・マークされる性質のもののようです。
国学院とか皇學館でてるわけでもないので、正確さは欠くかも
