書く、というのは、病的ななにかを巧く解消したい・消し去りたい、ってのがあるような気がするんだよなあ。詩であっても小説であっても短歌であってもノンフィクションであっても、あんまり変わらないような気がするんすよ。あれっす、人間ってよく【ここだけの話だけどさー】ってよくいうじゃないっすか。黙ってることができない性分で、黙っていられずにつぶやいたひとことが、それがひとによっては表現物になって、そのうちの何割かが文学になるのかなあ、と。
文京区の猫の家へいってぼんやり思ったんすけど、漱石って住んでた家のすぐそばの落雲館じゃねえ、郁文館の学生にからかわれたり悩まされたりして、それを小説でからかうということについてひたすら考えて、さらに転化というか昇華というか消化というか、笑い飛ばすような書き方を小説の形をとってして、納得させたのかなあ、と。猫を書かなかったらもっと胃が悪化してたんじゃないかなあ、と。
文学とか表現のあり方として、そういうのもありなんじゃないかなあ、とシロートは思うのですが、あってるかどうかはわかんなかったり。
自分(id:gustav5)のことを語る
