[やわはだのあつき血潮にふれもせでさびしからずや道を説く君]
ってのがあって、「あつきちしお」とかそういうのは状態で、「触れる」が行動で、なんでそうなるかっていう問いのまずくる答えが「好き」というのなんだろうけど、道が理屈で、理屈が先に来るとどうしても「好き」が説明できないから、触れられないし・触れてもらえない(からさびしい)。
でもってなんで目の前の触れてほしい人に執着するのか、という問いは、「好き」だから、という以外には「喜んでる顔をみてみたいから」とか、「独占したいから」とかになるんだとはおもうが、よくはわからない。「こっちむいてー」っていう、ひどい幼児性が私の場合は出てくるけど、幼児性のない人はどう処理してるのかは謎。
与謝野さんの時代から執着のようなものは説明できないで人間は揺れ動いてるんじゃないかなあ、と思うのだけど、一般性はないようなきがしないでもなかったり。
でもって↑はこれは対人の話なんすが。
ものになるともっとよくわかんない。所有して愛でたい、という意識になるんだろうけど、なんでそれに執着するか、ということに関して説明できるか、というと怪しい、「良い」と思うからなんだけど、「良い」と思うと財布のひもが緩くなっちまうんだから、麻薬みたいなものかもしれない。
好き≒正常な判断ができない脳内麻薬みたいなものなんだろうか。
