すんません、私も麻薬をやったことがないので、麻薬は不適切かもしれません。
開高さんの短編に「玉、砕ける」(ロマネ・コンティ1935所蔵)というのがありましてそのなかに、「右か左か選べ、さもなくば殺す」という状況の中でどうやり過ごすか、という問題設定があって、その答えはないままなのですが、文化大革命時に文学がどうあるべきかと問われて、老舎が中国の小田舎の料理屋さんの描写を細かく3時間以上するエピソードがでてくるのです。で、その話を聞いてよい老酒をのみたくなった、という感想が出てくるのですが、シビアな状況の中で、もし文学とかそういったものをあるとするなら、シビアな状況のなかで、シビアな状況から目をそらして料理を食べたくなるようなもんであってもおかしくない、そういうきっかけがあっても、おかしくないよな、と思ってて、ずーっと17の頃からその考えがこびりついてて、抜けないのです。
がん発病後の栗本さんの作品群も、老舎の描く料理というか、そんなもんだったのかな、と勝手に思ってるんすけどそれはともかく。
麻薬というのでなければ、美味しそうな料理というか、本を読むというのはそんなところがあります。
なんというか、シビアな状況から目をそらすために本があって、あんまり文学とかには私は真正面に向き合ってないのです。
