ずいぶん前に勘九郎丈の番組に談志師匠がでていて、そのときに文七元結の解釈の話をしていたのです。隅田川を前に預かった金50両をすられてすっからかんになって、悲嘆にくれる若者の前に、自分の娘が吉原へ行くことで工面してくれた50両を懐にした主人公が現れる。身投げしようとしてる若者を止めて話を聞くんすけど、そこで呻吟の挙句、50両ぽんと渡しちまうのです。ああ観音様でもこんぴらさんでも帝釈天でもいいからよ、おれが達者であるように祈ってくれればそれでいいから、っつって、名前も知らせずに渡しちまう。
その場面のことを「これは交通事故なんです。交通事故に遭ったとき、人はどう動くか、見捨てることができるか」と解釈してて勘九郎丈も耳を傾けてて、それをみてなんかこう、いくつも腑に落ちることがあって、「落語は人間の業の肯定である」という理屈がやっとわかったんすよね。できた人間じゃないから、50両をポンと渡せない。呻吟する。でも、渡しちまう。さらに相手に負担にならないようにかわりに代参を頼んで、さっと消える。
なんかこう、初心者をぐっと近寄せてくれて、目を開させてくれた意味で、すごく勉強になって、訃報を聞いたら、惜しい人が居なくなった感がすごくあるんすけど。
うーん、うまくまとまらん。
