誤謬の怖さ、ってのはなんだかすごくわかります。テストじゃないんだから間違ってもいい・訂正してもいいと思うのですが、なんだろ、自分の中に間違うことが恥、っていう意識があることに、【誤謬】ということばで想起しました。恥ずかしいのは嫌なのかもしれません。
それと、嫉妬、というのは私にはあんまりないのですが、精力的に主張できない・疲れってのもわかります。正しさってのを考えて私が疲れるのは、正しいってのをちゃんと把握してないせいかな、と思ってます。自分の中で確たる「正しさ」ってのを把握してないから、誰かが正しそうなことを言うとその正しいことっぽいことに(自分の中の正しさとの認識、それもことばにならないもやもやしたやつとのあいだにに差異があって)反発を覚えるんだけど、うまく言い返せないですし、ストレスとか疲れを感じたりします(なんだかこうかくと自分の脳が足らないことをさらしてるようなところがありますが)。
後ろめたさてのも、なんだかわかります。
あんまり考えたくないのですが、たぶん、あれっす。私の場合「悪いことをする」ということにどこか惹かれるところがあって、それを自分の中で否定できないから【正しいもの】をみたときに息苦しいのかもしれません。
でもって、もし【正しいことを言う人】がそこらへんを断ち切れてるのなら、嫉妬するところがありますし、あなたほんとにその言葉通り正しいことを実践してるの?ほんとに悪いところを断ち切れてるの?という邪推をしたくなるところはあります。
なんだか意味不明になっちまったらすいません。
自分(id:gustav5)のことを語る
