○物語ってのに、人ってそこに意味をとりたがって、なもんすから、物語を見て、俺がここにいるー、ってな人もいるし、寂聴師みたいに「ヒカルに罰を与えたかった」ってんで源氏物語を自分で書いちまうひともいるってことはわかる。たぶん物語ってそういう効能っていうか、毒みたいなものはあるんじゃないかなあ、と。
○何かを抱えてると人って苦しいので、たとえば秘密でもいいんすが、苦しいから人は他人に語りたがるんすよ。よくあるのは「ここだけのひみつ」ってやつっす。物語ってのは実はそういう苦しいから語りがたる部分があるんではないかなあ、と思ってて、それが舞姫だったり寂聴さんのあしたの虹になるのかなあ、と。でも、これは文学なのかなあ。文学門外漢だからわかんないけど。
○あと、物語ってのは麻薬みたいな、現実から一瞬忘れさせてくれるところがあって、だからよく歌舞伎とか幕見でふられてからみてたんすよね。文七元結っていう、落語ベースのがあるんすけど、内容を知っててもいつでもはらはらしちまう。なんでだかわかんないけど。
○じゃあ、物語でなにを見てるかっていったら、おれ、たぶん人の変化の過程をみたい、ってのがあって、変な読み方をしてるかもしれない。
好色五人女ってので、八百屋お七の話があるんすが、火事の時に身を寄せた寺でよりによって同性の相手のいる男に恋をして、またあえるかもしれないってんで火をつけちまうわけっす。その狂うっていうか、そこまでの経緯を読むのは個人的にすごく惹かれるんすよね。
○↑恥ずかしいこと書いておくと、逢えないからって、たいしたようもないのに留守電の声を聴きたくて、留守電に電話かけたようなやつなので、あんまり笑えないわけっす。火をつける意味が分からんでもない。なんだろ、物語って、一瞬の現実を忘れる麻薬的なところと、どこか「ああなんかわかるーわかるー」ってのをさがしてることころがある。
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