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自分(id:gustav5)のことを語る

[プール帰りにだらだらとかく]
私は落語をあまり知らないので下手なことはいえないけど、落語が元になった歌舞伎というのをいくつかみてきました。それが【文七元結】なんすけど、この話、主人公が娘が吉原へ貰われてその身代金として受け取った50両を見ず知らずのとおりすがりの50両無くした青年にくれてやるんすね。で、あるとき、立川談志って言う人が「交通事故なんすよ。交通事故が目の前でおきたとき、そのまま放置できるか」ってなことをいった。個人的にはそのことばが一番腑に落ちたんすよ。そのあと、立川談志という人が「落語は人間の業の肯定である」ってことをいってるのを知って、なるほどなー、と思ったのですが。そっか、人間って業ってものに、とらわれてるんだってことを談志師匠から知ったわけっす。
業の肯定っていうとなんですが、たぶん誰もが業のようなもの、背負ってるんじゃないかなー、とおもうんすね。街中でいちゃいちゃしたり、ってのは非常識だってのはあるんすよ。でも人前でいちゃいちゃしちゃいけない、ってのは人間が過ごしやすくするための、人間が作ったルールなんすけど、そのいちゃいちゃしたりってのは恋をしたら誰もがその非常識性をもってるんじゃないか、って思ったり。自分の付き合ってる相手はこんなに(すくなくとも自分にとっては)カッコよい・かわいい・セクシーな相手なんだ、ってのを自慢したい見せびらかしたい欲って有るんじゃないか、っておもうんすよ。それ、人間が持つ、業のようなものじゃないっすか?
もうひとつ、前から書いてることの焼き直しになりますが、人前で異性とつきあうことをあからさまにしたり、いちゃいちゃするのは「重婚回避」なんじゃないかな、って気がするんすよ。穴兄弟なんて言葉があって、一人の相手をめぐって複数の人が関係することって前からあったはずなんすけど、独占欲から争いになりがちなんすよね。付き合ってることを公示すれば何割か減るわけっす。争いは。争いの回避のためのその公示が結婚式であったりドイツの戸籍役場での公示であったり人前でのいちゃいちゃなんじゃ、って思えるんすね。止むに止まれぬ理由で、それを無意識のうちにしてる部分ってあるんじゃないか。
例の質問の中でいまでもやもやしてるのは「異性愛者はあからさま」っていうのだったんすけど、業のようなものっていうか、しぜんと出ちまう部分やそのほうが争いが少ない方法だからってんでやってることに批判というか皮肉のように言うのはひどく引っかかってるんすけど。あからさまなのはしょうがないことなんじゃ、なんていったら、批判に晒されるネタを提供してるのと同義に近いと思って敗北感を持ってた側面もあります。
確かに異性愛者が持ってるであろう非常識性の解放ってのを同性愛者の場合はなんでこそこそやらなきゃいけないんだろう、自由にできないんだろうって不均衡はその通りなんすけどね。ただ「イケメンに限るメソッド」ってここでも通用しそうでこわかったり。イケメンが二人いちゃいちゃしてたら許せるよって人、いそうなんだよな。それ業の肯定っていうか、萌えの肯定なんでしょうけど。