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自分(id:gustav5)のことを語る

こんばんは。
教会だと賛美歌を歌うことがあろうかと思いますが、真言宗のお寺ではご詠歌ってのがあります。愛媛の明石寺で自動車で回ってる90過ぎのおばあちゃんがいたのですが、「私は階段上がれなくてね」っていったあと、階段の下で朗々と本尊に響くように綺麗な声で読経とご詠歌を唱える場面に遭遇したことがあります。あまり時間がなかったのですが、ちょっとそのときは動けなかったです。なんというか、隠しようのない信仰の篤さ、っていうのに触れると言葉をなくします。
円明寺なのですが、私個人はマリア観音とおぼしきものは江戸時代のものじゃないかな、と思っています。何の確信もありません。四国遍路っていろんな人が居たらしく、故郷を追われた人(有名なのはハンセン病患者です)が死ぬまで巡拝してたこともあったようなのです。

で、死んだらそこでお墓を建立するわけです。これも松山のものですが。
まったく何の裏づけもありませんが、へんに寛容なところ、ってのがあったわけです。いまでも真言宗以外の人でもウエルカム!ですしこっそりカクレキリシタンがいてもおかしくないよな、って思えるんすよ。その人たちのために残しておいたのかなー、なんて思っています。ただ大村の首塚・胴塚の話をお伺いして、ちょっと考え方が甘いかもしれないと、感じていますが
弾圧の話でいちばん印象に残ったのは、やはり「浦上四番崩れ」と浦上教会の話です。大浦教会で浦上のキリシタンが「発見」されてカソリックに復帰し、浦上の人たちがおおっぴらに信仰を告白するようになり、それまで従っていた寺とも縁を切りはじめ、それを知った明治政府は3000人居た浦上のクリスチャンを根こそぎ移住させ、四国や山口で信仰を捨てるように弾圧を受け、弾圧が解けて浦上に戻ってきて浦上の地に教会堂を自力で建てたっていうはなしです。

もっともその建てた教会堂がピカドンで爆心地のそばだったので壊滅的被害を受けたし信者の被害も大きかった、って言う説明も淡々と聞くと、なんにも知らなかったせいか、正直、言葉がなかったです。
末尾ながら、御祖父様のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌