いいたくなる気持ちがわかる、というのは、下品なこというと(私は童貞でもないかわりに処女?でもないセクマイなので)それなりに「はよ終わらんかなー」ってのと「シャワー浴びさせてくれ」と思ったことがあるからです。もし、ベッドの中の「はよういけ」がそういう意味で無かったら、すいません。勘違いしてましたです。
勘違いついでにもう少し語らせてください。
無理解と断絶ってよくあるとおもうんすよ。人間はたぶん自分と違ってる速さを持つ人間に生理的にイラつきます。会話でもベッドの中でも「あるべき自分の理想の速さ」に他人があわせてくれなかったりあわせることができなかったとき、いらつくんじゃないかと思ってます。相互に理解があって断絶が無かったらそんなことにイラつかないはずです。ベッドでも会話でも手探りで模索して、なんとなく断絶があった溝を埋めてやっと相手の意図を理解して会話を継続したり(下品な話ですが)「もう一発」になるわけで。
セクマイの問題もそうですし、セクマイだけの問題だけでなく、うっすら壁のようなものがあるとき・理解をすすめようとするとき・壁を壊して理解することに価値がありそうなときは相互にそれこそ限界値を探りあいながらやってくしかないんじゃないか、と思います。(なんか風呂上りなのにせなかがむずがゆいですが)。
ただ
>行為としては無理解とか断絶が
>あることは救いでもあるのかもしれなくて
これも少なくとも私にもあって、すべてを理解されるほど気味の悪いことはないと思いますし、行為の件でも誰かに分析されたらいやだなあ、ってのはありますです。
なんだか変なリプライになってたらすいません。
末尾ながら、今年もよろしくお願いします
自分(id:gustav5)のことを語る
