id:gustav5 は
自分(id:gustav5)のことを語る

【無知識無産階級が想像で語る芸術とか】
●室町三井家の末裔が子孫ないまま死んで、遺産が三井記念にあるのですが、そこに北大路魯山人の皿ってのがあったのです。見た目は普通の備前焼なんすが、やたらと挑発的なんすよね。コロッケひとつ置くとしても、盛り付けるのが大変というか、盛り付ける技量が無いとすべてを台無しにしてしまうようなものなんすよ。料理も大事やけど、料理以外も大事やで、ってことを改めて思い知ったんすよね。それをみたとき。魯山人がそんなこといったのかどうかはほんとはよく知りませんが。
芸術ってなによ、っていわれると美学も教養もないからほんとはどういうものなのか判らないけど、たぶん、作品を通してほかの人がなにを見てきたかどう考えたがが判ることだと思ってて、ああ、魯山人という人がなにを考えてたかよくわかるんすよね。
●スノッブになりやすいのは、判りやすいからっすよ。違いを述べるのが簡単なんです。でもって自分の目や耳が信じられないから・他人に説明するのが難しいから、評価の定まったもの・有名なのを選ぶんです。で、そうであるものと、そうでないものの違いを述べるわけっすね。で、器にしても能書きをそのまま引用すればここらへんがそんじょそこらのものと違うのよ、っていえるんすよ。北大路魯山人の器ってのがどういいか、説明する言葉を持たない人はひたすら魯山人を神とあがめて褒め称えるのではないかなあ。自分の言葉を持たない人ほどスノッブなほうへ走るんじゃないかなあ。
●どこがいいのか、わからないひとは、けなすことからはじめるんすけどね。源氏物語が判らない人はどこがいいのか、判らないっていいます。でもたぶん判らない人のほうがほんとは幸福なんすよ。源氏が栄華の絶頂にいても、女三宮は平気で柏木という他人と寝ちまううえに、柏木の子を宿しちまうわけっす。自分の好きな人は、自分だけを振り向いてるわけじゃない寂しさ・悲しさを想像できない・判らない・経験したことがないと、あそこらへん身に迫らないわけっす。逆に寂聴さんみたいに、源氏物語にとらわれちまったほうは犠牲者なんじゃないのかなあ。80過ぎても「ヒカルを罰したかった」ってのはすげーなーと思うし、ほんと源氏物語って罪作りな話だよなー、とおもうんすよ。
●で、芸術ってなにかなんて、よく判らないけど判ってることから語ると、源氏物語でもいいしマーラーでもらくだでもいいのだけど、なんで古典が読まれたり演じられたり演奏されるのか、ってのを考えると、やはり【作った人の考えてることが提示・再現されること】で、そこに提示・再現されてることが観てるほう、読むほう、聴くほうに響いてくるからなんじゃないっすかね。でもって、アンプ役として、演奏家や俳優や落語家・翻訳家・作家がいるんじゃないかなあ、と。