古い社会ではルールみたいなものがあってそれを遵守するように求められるわけっす。それができないとどこか人間扱いされません。私の勤務先は挨拶です。ひょっとしたらどの会社もにたよなもんかもですが。
はたから見るとそれはひどく変なのですが古くからそこにいる人が後から来た人に対してさも当たり前のようにしきたりみたいなものというか無言のルールを当てはめるようなことを言う、ってことはけっこうあります。それを感じたのがゲイの世界です。女性がだめではなかった私の場合それをいうとゲイ一筋ではないことを軽く皮肉られたりってことがありました。女の前でも男の前でも淫乱なんじゃないの、とかのことをいろいろいわれるわけです。なんというか悪意があるのかどうかはわからぬものの、そういうことを目の前の男がゲイ一筋じゃないなら言って良いみたいな・ゲイ一筋であることが崇高であるみたいな、暗黙のルールを感じたわけです。別に冷静に考えるとゲイ一筋であることにどこに優位性があるのかっていったら、無いんじゃないか、って思います。恥じるつもりはないですが、でもじわじわと、いわれたことは影響してます。私はいまでもゲイ一筋じゃないのでどこか卑屈なところがあります。ほんと推測に過ぎないのですがそうやって何かひとつを守ることが崇高であるという価値観を大事に守ってきた歴史があるんじゃないか、ゲイのコミュニティってそういった価値観の貞操教育?がなされてたのではないか、って疑ってます。あー、ゲイタウンって俺の居場所じゃないのかも、って思っていまだにゲイタウンにほとんどいってないのはそのためです。
他人のあり方ってのに、人の社会ってわりと不寛容です。人が人を好きになる、ってことに対して誰も文句は言いません。でも、それは「枠」から外れるととたんに不寛容になります。男が女を好きになる、ってのなら、だれも文句をいいません。でも、それが年が離れてたら、犯罪じゃね?とかいいだすわけです。ましてや男が男を好きになる、とか、女の人が女を好きになる、ってのは、なにかをいわれやすい。枠に入れたがるんすよ、人って。もしくは警告を発したがる。その枠って現に存在はしないけど、幽霊のように現れるんすよ。
で、枠があるってんでなにかに似てるよな、と思ったのが嫁姑問題です。先代筋のいうこと≒枠に従って良い嫁であることが求められ皮肉や小言をいうことで教育を施すはずです。好ましい存在じゃない「よい嫁」じゃないと「いまどきの嫁は」って否定の対象のようにいわれるとおもうのですが、それがマイノリティの世界とて同じことなんじゃないのかな、と。他人に不寛容になる。女性を抱けるってなだけで、ゲイの世界の人から皮肉を何度も言われた私はサンプル数は少ないですが、そう思っちまうのですけど。
で、「なんちゃって」とかいうのは、その枠に準拠してないです、っていう先制攻撃・自虐のようなものなんじゃないか、って思うのです。ゲイってどこらへんからいうのかよくわかってないし、女の人もオッケイってな時点で名乗っていいのか実は判らないですから「なんちゃってゲイ」を名乗りたい部分はあります。つか、ずいぶん前にもハイクで書きましたけど、市井にいる人は恋人が同性に抱かれてた・抱いてたって過去をもってても許容してくれるのかっていう疑念がずっとあるのですが、同じくらいゲイの人に正直、女の人に抱かれてました・抱きましたっていうのも、経験則的にどこかしんどいんすよ。自虐的にいったら許してもらえそうな気がしないでもないのですが、無理かも。
以上、枠からちょっとはみ出しちまってる人間のまとまりのない戯言でした。
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