刑事事件になると検察官は裁判官の前で挙証責任を負っているので被告人が犯罪を行ったことを積極的に証明しないとまずいです。被疑者・被告人の卑劣さを証明するためには、【被害者に落ち度がないことを証明】するのが一番なんで、捜査・公判を通して、被害者に落ち度がないことを調査して公判で証明していくことになります。
で、被疑者・被告人側は裁判において刑を逃れよう・軽くしようとするために、検察官が焦点にする【被害者の落ち度】を論点とした防禦をします。ここで坂を滑り落ちるように被害者の落ち度ってのが別の意味で作用しちまいます。量刑の軽減のために考慮・利用されちまう。でもその尋問は不利益な供述をしなくていい自己負罪拒否特権と同じく憲法で保障されてる鉄板の権利なので、どうともできない。そんななかで【落ち度の定量化】なんてほんとばかげてるって。不利益な供述をしなくていい被告人に利益ではあるけど、被害者には不利益っす。落ち度のないことを証明することが加害者の犯罪についての悪意を立証する手段であるんだし、そもそもどんだけ卑劣か、なんて定量化しよう・卑劣さを枠にはめよう、って発想が、理解できない。事件ごとに細かく証拠をそろえて吟味して刑事訴訟を遂行すべきなんじゃないっすかね。
そもそも被害者側が立証するのって難しいんすよ。被害をうけたことって忘れたいことだから、口述してもらいにくいわけで。
疑わしきは被告人の利益だし、その被告人の利益に沿うことをすることは大切なことだとおもう。でも、被害者を更なる窮地へ追い込む発想がどうしたらでてくるんだろ。
脳内だけならなんなく、平気でそういう発想ができるんだろうけど。
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