id:gustav5 は
自分(id:gustav5)のことを語る


(長崎でのことを踏まえて)
長崎で浦上のカソリックセンタに泊まったんすけど、カソリックセンタの人から誘われて韓国からクリスチャン団体の人と話したんです。そんときに、何人かの日本人と複数の韓国人で日本語と英語で話してたんすけど、日本の神様について問われて説明したんすね。見分け方として鳥居があります、っていって、神社の写真を見せました。で、わかり易いかと思って富士山はあれはご神体なんすけど、って話をしたら、日本の神様は自然崇拝なのか、っていわれた。や、北野天満宮は菅原道真だし、日光東照宮は徳川家康なんすよ、人も祀りますって話をしたり説明の言葉を尽くしたのですが、相手が混乱するのがよくわかりました。国学院とか皇學館をでたわけではないこちとらしがないあほう学部出身なので荷が重いってのもありましたが八百万の神があたり前の前提に育ってる私と、キリストを主に信仰してきた一神教の世界の人とだと、話って噛みあわないのかも、っておもったんすけど。
その経験から感覚が通じる、話が通じる、なんてことなんかはほんとはまぐれなんじゃ?っていう認識をあらためて確認させられたんすけど。
そもそも同じ日本語しゃべってても本当に通じたかどうかなんてわかんないじゃないすか。普通、仕事してても問題が表面かしなかったから気づかないだけで、実は通じてなかった経験なんていくらでもあります。「へっこ」だってそうでしょう?あいてが演技したら(そのときこっちが余裕がないってこともありますけど)わからないときって、けっこうわからないはずっすよ?でもそれでも会話も「へっこ」も相手を信頼したり言葉を尽くしたり相手を尊重したりしながら、なんとかしようとするじゃないっすか。だからこそ話が通じたときってたまに快感を覚えるとおもうし「へっこ」だって探りあいながら波長とか呼吸とかうまく合えばものっそ快感じゃないっすか。その経験があるから人って言葉を尽くして(前戯を尽くしてでもいいけど)(会話でも「へっこ」でも)コミュニケーションしようとするんすよ、たぶん。
感覚が通じない、って云うのをあるところで読みました。
で、(ry、とか、なんやかや、っていうふうに言葉を尽くさないであいまいにして、感覚が通じない理解しあえないって、嘆いてるのをみると、なんだかほんとに同じ日本語を扱ってても話が噛みあいそうにないな、と思う。
なんでフォローされてるのか謎だし先様の自由だけど私はたぶん彼を永遠に理解することが出来ないとおもうので、フォローはしません。