id:AntoineDoinel
映画のことを語る

Replyを使わずにこっそり返信してみるはずだった】

大阪での「SHOAH」(全上映時間約9時間半)の上映は今日までで、期間中いろいろあって行けなくて、今日無理だし、結局見られないこと確定なんだけども、id:dadakoさんの、「SHOAH」に出てくる “長老による選別” ということで書いてらっしゃったのを読んで。

ふと、アンジェイ・ワイダ監督の 「コルチャック先生」 を思い出し。 ユダヤ系ポーランド人の医師であり教育者・児童文学者で、多くの孤児の面倒を見、孤児たちが収容所に送られる際に 自分だけなら助かる道があったけども それを拒否し、孤児たちとともに収容所で殺された、実在した人物、コルチャック先生。

ワイダ監督の 「コルチャック先生」 劇中では、占領下の非常事態の中、議員だか誰だかに金の工面を頼んだり、金持ちに小麦などの食料を分けてくれるよう頼んだり、ほかにも、なりふり構わぬ行動で、孤児たちをなんとか食べさせていこうとするシーンがあった。 理想を掲げる若者たちが、自分たちが尊敬している高名な医師の そんな行動を、見るにしのびなく思い、いろいろ言うのだが、コルチャック先生は 「これぐらいのこと別になんとも思わない、子供たちのためなら、悪魔に魂を売っても構わない」 と答える、そういうシーンがある。 そして、最終的に その子らとともに絶滅収容所へと送られる。 ラストでは、ガス室だとかが描かれることはない。 殺されてしまうことは否応なしにわかっているのだが、ワイダ監督は、その死を、別な描き方で表す。

ここで、こんどは ホロコーストとも関係ない、最初の話とは なんの関係もない映画を思い出すのだが。 共通点は子供である。

思い出したのは、テオ・アンゲロプロス監督の 「霧の中の風景」。 アンゲロプロス監督特有の あの作風で描かれた、ギリシャが舞台の物語で、親を探して死んだ子供の物語。 「コルチャック先生」 のラストを思い出して、そこから更にこの作品のラストを連想した。 ラストシーンの描き方には共通したものがあるのだが、まず題材が違うし、作品制作年代も離れているし、つまり なんの関連もない両作品だが、子供らの死を表す描写が共通している。 それを ふと思い出し。

あのような描写をしたのは、子供が死ぬ姿を描くのが あまりに しのびなかったからなのか、あるいは (特に ワイダ監督のほうの 制作年代・国を考えると) 時代の制約か、また あるいは、“本当はもっと先があったはず” なのに なくなってしまった その “先” を、せめても表現した描写だったのか、安息の願いを込めた描写だったのか… というようなことが、いろいろと思われ。

“長老による選別” について書かれていることを読んだのをキッカケに、逆の行動を取ったコルチャック先生を思い出し、連想で ほかの作品を思い出し… というだけのことで、ドキュメンタリーである 「SHOAH」 とこれら作品とは また違うし、どこに おさまるわけでもない連想なので、Replyを使わずにこっそり返信してみる に書こうと思ったけど これ結局映画の話やんね、と思って映画に(しかも Replyを使わずのほうに書かなかったのでidコールまでしてますが)。 とりとめもなくて、なんで書いたんだという感じで恐縮ですが、ハイクキッカケで思い出したことなのでハイクに、ということで。

それにしても、「SHOAH」 「不正義の果て」 「ソビブル、1943年10月14日午後4時」 見逃しは、まったくもって惜しい…。 もっと精神的に元気な時期の上映だったら行きたかったなあと思うけど、今回は無理だった。 惜しいことをしました。