※ごめんね、ちょっと削除して部分的に直しました。
『サウルの息子』
SHOARでランズマン監督は、当時の画像も映像も再現フィルムも使わず、今のインタビューの映像、今、当時を語る人々の顔と現在のその場所しか映さなかった。それは、映像では個人の体験・経験が伝わらないからだ、と、初めて観たときに何かで読んだように思う。
映像にするというのは、ワンクッション置く、客観化するということなのだろう。
サウル~は、SHOARのインタビューを思い出させた。語りを聞くことでしか体験できないであろう主観的な体験を、映像でやろうとしてるようにみえた。
決してピントがあわずクリアにならない背景は、インタビューで、聴き手が知識として知っているけれど語り手がその語りでは触れていない出来事だ。
またSHOAR見たくなった。あと、見損なってるその続編と。蜂起の話をちゃんと聞きたい。
その上でもう一度サウルを見たい。
