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自分(id:dadako)のことを語る

親が子供の問題行動で謝る、ということについて。
まだしつこく考えてて、結局「失敗」というのだって、親が自分の基準とか社会の基準にあわせて見た時に失敗と判断してるんで、親の思惑通りにいかなかっただけだったりすることもよくあるし、ほんとうに本人が生きづらさに苦しんでるのに対するそれなのかどうかというのはよくわからないんである。本人は親の思惑からようやく逃れられて、心苦しくも自由を味わってるなんてことだってある。
で、そうでなく、犯罪から実に近いようなことをやってしまって、その結果「まちがってました・失敗しました」とかいうとき、ほんとにそう思ってんならなおさら子ども本人にも謝罪すべきと思うが(だってあんたからすればあんたの「作品」なんでしょう)、実際にはその謝罪の行き先は、世間や社会に向かう。被害者にすら向かってないこともよくあるように思う。
結局「社会にじゅうぶん適応し、周囲に迷惑をかけないように育てる」のほうが「どんな状況でもなんとか一人で対処して生きていけるように育てる」というのより重視されてるように見える。

というようなことをつらつら考えてたら、夕飯食べながらつけてたテレビで「日本人の謝罪」って話をしていて、その謝罪は「騒ぎを起こしてすみません」で、対象は世間様、だ、という指摘をしていて、すごい納得したのだった。
海外ではうっかり謝るとそこで責任を認めたことになるから謝らない、ところが医療訴訟を起こした人の1/3が、医師からその場で謝罪の言葉が一言でもあったなら訴訟をしなかっただろうと答えたという調査結果が出たので、I'm sorry法ができた、なんて話をしていた。で、そこから、日本人は謝罪しすぎと言うけれど、それは悪いことではなくて、なんて話に展開してた。
わたしはそれを、「でもその謝罪は被害者を向いてなくて、世間を騒がせてすみません、だってんなら、その謝罪はやっぱりへんだし、世間に許してもらえたら被害者の感情その他は関係ない、と考えてると思われても仕方ないように見えるけどなあ」と思いながら見てた。
何回もここに書いた小学校時代の、男の子を取り囲んで謝らせた女の子団体は、やっぱり、泣かされた彼女、ではなく、自分たちに謝らせてたよなあ、と改めて思った。