ベイツについてもそうなのだが、恐喝される側には、される本人が弱点と認識してる弱点があって、それはしばしば社会的に外聞が悪いとか社会通念からすると非難されるような内容だったりする。恐喝の被害者というのは、同情されにくい被害者、というのになるのかもしれん。
そんでもって恐ろしいことに、被害者は、実際の被害よりも被害を軽く見積もられるあるいはそれは罰としてあるていどしょうがないものと見られ、加害者側はその行動をしょうがないもの理解できるものとして同情を集めたりする。
ベイツの妻に対する態度が酷いものだったのは確かだが、その前に彼女は彼に罪を負わせてそれをネタにして彼を脅し縛りつけさらに次はメアリとアンナまで脅しのネタにしようとしてたのだから、わたしから見たらどっちもどっちだし、ベイツ本人は離婚して妻との仲を清算するまでアンナとの仲を進めようとしなかったという点で誠実ではある、と思うのだよね。
しかし、物証が何もなくて状況証拠しかないのに、こんだけ状況証拠揃って無罪はむりでしょ、とかはないわー。疑わしきは無罪、はなぜかって言ったら、有罪になったら取り返しつかないからでしょーが。彼が問われてるのは謀殺なのだから、有罪になったら基本的に縛り首だよ。コネと運がなかったら、その後終身罪に変更、なんてないのよ。再審請求だって、通るか通らないか賭けだろうし。
無罪は証明することが難しい、犯罪に限らず、ないものをないと証明するのは難しい、だから、有罪を証明するために裁判をやるんだよ。証拠に不足がある状況で有罪を決めてしまうのでは、裁判をやる意味がない。都合のいい、お話としてわかりやすいオチをつけるために裁判をやるわけじゃない。
この手の話になるといつも、クリスティの『無実はさいなむ』を思い出す。物語自体よりも、物語の設定に大きな意味がある小説だった。
