リンチの映画は、妄想が現実化して画面に現れる。
自分の能力で把握できない現実を、理解できるもの・コントロール可能なものとして把握しようとした結果が、時に妄想になるのだろうと思う。そして、それが自分の目の前で、展開されるのだろうと。そこには、今の自分に理解・把握できた出来事だけで構成された世界が広がっている。ただ、情報を得ようとすることで手一杯で、得た情報の取捨選択はされていない。つながりをもたせるという部分だけが途切れている。それは時間の感覚や、記憶する能力に関連するものだ。そこが弱まっているので、結果、妄想と混沌が広がってしまう。
でもそれは、本人にとっては現実の世界だ。わたしたちとは違う時間間隔の世界にいる人にとっての現実だ。
こどもの視界・世界もこんなんだったんじゃないかなと思う。ただ、老人は、自分がかつて、把握できる、(あるていど自分で)コントロールできる世界にいたという記憶と感覚がある。そして、その老人の周囲にも、その老人がかつてそうだったことを知る人々がいる。そこが厄介なところなのだろう。
