加害者が少年でなければ、彼女は彼と向かい合って話すことができたか。どこに共通項を見出だして、体験を語る相手と見定めるか。
「こどもをいきなり失った親」なら誰でも誰とでも我が子の喪失体験を語れるか。また相手の語りを聞いていられるか。自分にとって特別な「わたしのあの子」を匿名にしてしまうように感じる人もいるだろう。
子どもの飛び出し事故で加害者になった少年にとっても、「あの子」は特別な存在、あの事故は特別な事故だ。
だから二人は、あの事故について他人に話せなかったことを話せた。事故とあの子以外に、接点はなかったのだから。何度も反芻した出来事や可能性、抜け出す道はないのかという試みとその象徴のラビット・ホール。
『歩いても歩いても』の樹木希林がすごく怖かったのを思い出したよ。
