id:dadako は
自分(id:dadako)のことを語る

女子力の塊みたいな町のマドンナだったニコール演ずるヒロインは、南北戦争によって自分の「生活」を失う。失って初めて、彼女の得意としていたのは生活を彩ることであって、生活に必須のことについては何も知らず何もできないと気づく。お菓子は作れるが炊事はできない、レースは編めるが裁縫はできない、という具合。
その正反対の存在として現れるのがレニー演じる、下働きの女。夕食のために鶏をくびるレベルからの、生活に必要な一切の技能はあるが、読み書きそろばんに代表される「文化」は一切身につけていない。彼女はヒロインの生活に対する無能さをバカにするが、自分の文化に対する無能さが自分を不利に追い込んでいることも知ってはいる。
余裕がなければ文化は手に入らないが、文化がなければ余裕は生まれない。
彼女たちは生活を共にするが、与えあうのは、相手が「今」必要とするものだけではなく、相手がこの先必要になるであろうものを自身の力で手に入れることができるようになるための手段もだった。レニーはニコールに炊事や裁縫や銃を教え、ニコールはレニーに読み書きそろばんを教える。実務として。
ラスト、レニーは絵に書いたような幸福を手に入れているが、そこでの彼女の見違える風貌に少々寂しい思いもしたりした。時代として、女が小綺麗にすると女らしい格好するしかないわけだからしょうがないんだが。文化を手に入れるってそういうことだったんだから。

わたしにとっては女子力って生活の余剰の表現だ。
生物学的な意味でない「女」に象徴されるものは、それを所有する人間や社会の経済力の指標みたいに見える。