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自分(id:dadako)のことを語る

【読了】【父 パードレ・パドローネ ある羊飼いの教育】
読了キーワードの方には父子の相克のことばかり書いてしまって、著者が父から抜け出すために何をしたかを書けなかった。長くなりすぎてしまって。
彼は、自分の境遇から抜け出すために、学ぶことを求めて志願兵になる。そして一心不乱に学び、助けを求めまた助けを得て、学ぶことが楽しくなっていく。その結果、軍が自分の新たな支配者となることを理解し、そこからも抜け出そうとさらに学業を重ね、新たな場所へと出て行く。
この、勉強を続ける彼と、それを全く理解せず分不相応な怠け者とみなす故郷の人々の反応、あたりもすごくわかって、おもしろかったし、つらかった。
北野たけしのお母ちゃんの口癖は「貧乏は輪廻する」だったそうだ。だから一生懸命勉強して抜け出せ、と言い、教育熱心だった。わたしは『菊二郎と咲』とかあのあたり見てないんで知らないんだけど、たぶん北野家の周辺の人たちは、この本でみられるほどすさまじい「出る杭を叩く」ことはしなかったんだろう、と思った。
たけちゃんやお兄さんがああして抜け出せたことに、周囲の反応が影響していないはずはない。
レッダは父に「いつも助けてくれたのは父親ではなく他人だった」と言った、その助けてくれた故郷の他人も、彼が羊飼いの息子として行動している場合のみ、で、それ以上のものを許さなかった。

彼がこの後どういう形で故郷に戻ってきたのかは知らないけれど、結果として、訳者の訪問記に書かれたような状況にあるというのは、なんだかとてもつらいことだ、わたしには。

もう一つ、訳者が書いてたレッダの主張する、標準語と方言の関係性について。
レッダはサルデーニャ出身で小学校も何週間かで退学させられたため、志願兵になる際もなって後も、かなり長い間、標準語のイタリア語に苦労させられる。読み書きだけではなく、話すことにも不自由を強いられる。
彼が標準語を重視するのはわかるのだが、方言の豊かさは、彼が考えるほどに乏しいものとはわたしには思えない。方言には地域の歴史だけでなく、中央の歴史も含まれていることもある。方言でなら一言ですむことを、標準語で一言で言い換えられることは少ないとわたしは思う。何語も尽くして、時にはシチュエーションを想定しないと理解されないこともある。標準語は、各方言を通訳するものだ、文化を通訳するものだ。しかし、標準語は、方言を通訳するには乏しいツールだとしかわたしには思えないし、それ以上の意味をそこに見出してしまえば、彼がもっとも嫌悪する権威を一つ作り出してしまうことになるのではないか。

読んでよかったです、ぱさんてさん。