ダンサーにとっての主言語・コミュニケーションの手段はあくまでダンス自体であるとわたしは思っていて、それを一般にもわかるように言語化するというのは一種の翻訳どあると思う。彼・彼女らが一般言語がつたなくても、別にかまわないと思ってる。 ただ時折、一般言語に置き換えかつあるていど理論的に説明できてしまう人がいる。バイリンガルのように。 そういう人にわたしはインテリジェンスを感じる。 セビアンは、そういう人だった。