昨日、ホームレスからハーバードに入った女性が「人は環境で人生決まらない」と言ってたけど、
いやいや、彼女には、あの母親はともかく、仕事はしないものの(というか、できない状況にあるのではないかと推測したが)「何があっても本を読み続けろ」と言い、全20巻以上の百科事典を拾ってきて娘に与えるような父親がいたわけで。彼も本を手放さず、読書をし続ける人だった。だから、あの面接の時のようなアイデアが出せたと言える。
また、タイムズの奨学金の条件の一つに、「家族に大学いったことがない人」というのもあった。
ハーバードは、「ハーバード白熱教室」で知ったけど、入学選考時、成績同位者なら親がハーバード卒の方を優先的に取るシステムがある。それを知ってたからこそ、タイムズの提示した条件はすばらしいと思った。
さて、こういうとき、環境とはどこまでの範囲をいうのだろう? 彼女が死に物狂いの努力をしたことは否定しない。しかし、彼女の努力の源泉・モチベーションに父親の存在、与えられるチャンスは、環境として関係しないのか?
見ながら、離散してしまった彼女の姉は今どこでどうしているのだろうと思った。
やはり白熱教室で、ハーバード入学者は圧倒的に長子が多いとも言っていた。これをある一定の親の資産額で分けると、逆転するのではないかという気がする。貧困家庭では、長子が働き、弟妹の学費を出してる場合が多いのではないかと感じることがあるのだ。自分の両親もそうだったし。
互いの層に対する理解の断絶を強く感じる。
