id:dadako は
自分(id:dadako)のことを語る

【勝手に引用】【メモ】
『こころの科学 160』より
●アトピーと障害
〈「アトピーは努力がむくわれる病気です」等という医者の言葉(2010年11月27日朝日新聞特集記事より)について〉
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 むろん、この医師は「だから、アトピービジネスにだまされないで」という善意から発言しているのだろう。しかし、私はこの言葉にうちのめされた。
(中略)
 実母には「あなたの努力がたりないから」と、受診した医師たちからは「これまでの努力の方向がまちがっていましたね」と言われ続けた。
 おそらく、こうした経験をしているのは、私だけではないだろう。むろん、記事を書いた記者にも、この医師にも、私の母にも、悪気はない。本気で「治ってほしい」と思っているであろう。「善意」の、しかし「第三者」である。アトピーとつきあわざるをえない「第一者」でも、その「第一者」と日常的にかかわる「第二者」でもない。この「善意の第三者」は「無責任でいられる第三者」と同義ですらある。(p.150)
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「高すぎる不可視のハードルがあるときには、断念がなければ、相手を肯定したり、相手の居場所を認めたりすることができません」(浜田寿美男、『「私」をめぐる冒険ーー「私」が「私」であることが揺らぐ場所から』、洋泉社)
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「不便だから障害を補う工夫をする、というのは合理的なことだが、障害が克服可能であり、自分には能力があることを証明するために必要以上の犠牲を払って延々と克服努力を重ねるということになると、話は違ってくる」(石川准「ディスアビリティの政治学ーー障害者運動から障害学へ」『社会学評論 50巻4号』)
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